darai
11月8日
早朝五時か六時くらいにリオに着いた。チエテでもそうだったがバスの中のトイレはただで、駅のトイレは1へアルだった。泊まるところに向かう、タクシーはサンパウロの時のような五人乗りは不可だったのでバスで行くことになった。バス乗り場へ向かう途中タクシーの運ちゃんが3~4人声をかけてきたが、みんなきっぱり無視する。あと朝、小雨がぱらついているなかで見る山や遠くからのファベイラは印象的だった。
バスに乗って景色を見ていたが、景色の感じもサンパウロよりガラの悪そうな街のように思えた。天気も悪かったし、サンパウロの方が小奇麗だったということだろうか。バスの途中で市場らしいところに通りかかると、少し渋滞でバスが止まった。そうすると市場のほうから少年が自分に向かって寄ってきて、窓ガラスの向こうから少し睨んだ様子で自分に向かって指をさし、それから拳を突き出してきた。わけが分からずポカ~ンと見ていると、向こうがニヤッと笑ってきたのでこっちも笑う、それから向こうが手を振ったのでこっちも手を振ったら少年は向こうに走っていった。意味は日本人への挑戦かよく分からないが、日本では絶対に有り得ない事なので妙に印象深かった。
目的地のコパカバーナというところに着くと、浜辺に行ってみた。あいにくの曇りであまりいい景色じゃなかったが、海はとても広くて砂浜にはサッカーのゴールらしいのがいくつもあって、流石サッカーの強い国という感じがする。街中の立ち食いレストランで朝食を食べ、アサイだかアサノだかいう果物のすりつぶしたのを飲んだ。健康にいいらしく、少し健康になったような気がした。
朝食後、久保原さんがサンパウロの時知り合ったカポエイリスタのお母さんのやってる泊まり所に向かう。レアおばさんという人で、マンションの一室に住んでる人でその部屋の一室を貸してくれるというというシステムだった。レアおばさんはとても元気な人で、英語もたしなんでいるので何とかコミュニケーションがとれた。ドア掛けに「福」とかコップに「幸」と書かれていたので漢字が好きなのかなと思い、こんなこともあろうかと持ってきておいた地元の祭りの手ぬぐいを差し上げるととても喜んでもらえた。あと、たぶんそれとは関係ないけど彼女からダライラマみたいだから「ダライ」って呼んでいい?と言われ、ダイスケのニックネーム的な所もとても気に入ったのでそのままアペリードにさせていただいた。(いままでのアペリード経由・・・ミスター→エスパー→モンジ→ダライ・・・その他、チンネンなど)
レアおばさんのところで一休みすると、両替しにいった。銀行ではなく、彼女の知り合いの両替屋でやる。大学の教科書で読んだとおりだ。それからみんなで量り売りのレストランで昼食を食べながら雑談、主にトイレについての話で盛り上がった。なんかもうみんなすっかり打ち解けた感じだ。
食事が終わると久保原さんと別れて四人でコルコバードの丘へ行った。あいにくの小雨だったり、イギリスだかアメリカだかの老人会のツアー客がいっぱいいる中、登山電車で登る。木々やら線路の横に立っている聖人の像やらを見ながら快適に頂上に到着。霧に包まれて麓の街も見えない中、キリスト像も見えたり見えなかったりでなんだか神秘的だった。でもやっぱり晴れてた方がいいなぁ、寒いしとか思った。
そこからレアおばさんのところに戻ると、今度はレアおばさんの息子さんの、久保原さんに宿を教えてくれたフェハドゥーラさんの道場に行った。フェハドゥーラさんは道場に来ている人と同じくらいの歳の感じがして、若いのにすごいと思った。ブラジルはみんなこんな感じなんだろうか。あいにく自分は着替えをサンパウロに置きっぱなしだったので見学することにした。今思えばやっとくんだった。ヘジオナウはもう存在しないという理論や、動物の動きを真似る練習は興味深く、ヴァジアソンとは違いって道場は固定の場所なのででっかいアフリカ大陸の絵が壁にどーんと描いてあったりいろいろ歴史的な写真が飾ってあったり、個性的で味のある空間になっていてうらやましかった。ホーダはバテリアのエネルギーがすごくて、すごくホーダに入りたかった。
道場の帰りにはシュハスカリアに行く。生でピアノ演奏してくれてたり、スーツのおじさんが付いてくれたり、すし握ってくれたり、大人な空気の店でもう少しちゃんとした格好で来なかんなぁと思った。
部屋に戻ると五人同じ部屋で雑魚寝状態、この頃から久保原さん発の流行語「・・・・・じゃ~」と「タケシテ」(たすけての意)が大流行。敬語を使わなくてすむという意外なメリットで「じゃ~」を連発していた。「風邪引いたかもしれないんじゃ~、タケシテ~」「うるさいんじゃ~・・・はやくねるんじゃ~・・・」とか言いつつ就寝。