朝食後、私とガルソンは新しい宿探しにツーリストインフォメーションへ行く。ホテルから歩いて30歩くらいのところだ。受付にはかわいい男の子がいて、上手な英語で対応してくれた。そもそも宿替えの必要性はなく、ただなんとなく「せっかくだから海沿いのホテルに泊まってみるのも一興」という久保原さんの案なのだが。とりあえず値段と設備、場所で適当なところを探してみる。バッハ海岸沿いのホテルでよさそうなところがあったので、そこに決め、他にカンドンブレやイベントの情報も仕入れる。もっと時間が許せば、いろいろ見てみたいと思うことが多かった。
帰り際に、ミィに会ったので、ホテルのロビーで一緒にお茶する。そこにヴィアグラが帰ってきたので、彼にミィをバトンタッチ(したらしい。覚えてないけど)。
午後は・・・何してたのか???記憶にない。ABCAで練習したか、ハンモックで昼寝か・・・後者の可能性が高い。今思うととんでもないなまけ娘!
お昼はたぶん向かいの店で食べたと思う。ぜいたくだな~
夕方。メストリ・ヘネの道場へ。ちょっと危険な地帯にあるらしいが、見るからに危険だった。坂を下りきり、左に折れた先が道場。「こういう見晴らしの良い坂が危ないんだよな」という久保原さんの脅しに、一同緊張。全員で必死に坂を駆け下りる。この日は子どもクラスらしく、小学生の子どもに混じって練習する。バナネイラ、ポンチ、アウー、自分にはできない技を軽々とこなす、愛らしい目をした子どもたち。久保原さんとのジョーゴにも全く動じることなく、笑顔で対応していた。練習はバナネイラやハステイラ、メイアルーアの簡単なセクエンシアなど、基本的な動きとシャマーダ。このときの自分にはついていくのが精一杯だった。ジョーゴでも子どもたちとクリスのうまさに圧倒され、凹む自分・・・まあ凹むほど、練習してないんですが。
ヘネの娘のクリス(久保原さん曰く「らんちゅう系」、金魚ですね・・・)は目のくりくりしたかわいい子で、練習後に久保原さんとなにやらまじめな話をしていた。このときみたヘネの印象は、「きれいで、すごく切れそうな、静かな人」。長いドレッドを白い布で束ねた姿が美しかったです。また来る約束をして、帰りは再び坂を必死で駆け上り、ホテルへ帰っていったのでした。

バッハ海岸
*2008年です。帰国後ずっとガルソンが、なぜか「ブラジル日記を完成させる」ことにとても執着しているので、私も完成させなければいけない気分になってきました。誰が見ているのか知りませんが、とりあえず最後まで書きます!でも記憶が・・・ともかく印象的に残っていることを掘り起こして・・・(びあぐらの記憶だけが頼りだっっ)
11月20日
午前中はハミロ宅にてビリンバウオーケストラの話をしたり、CDを買ったり。そのまま午後はひりつく太陽のもと、プライアで海老を喰らいながらビールを傾ける・・・毎日こんなことばっかしてますが・・・
しかしこの日のメインはなんといっても、メストリ・ルーアハスタの住まうイタパリカ島での奇祭でしょう。黒人の意識デーとやらに、メストリがお祭りを指揮するらしい。ラランジェイラスホテルを出ていつものエレベーターをくだり、船着場に到着。小さい船に乗り込む。メルカードモデロの商売帰りのおばちゃんがボンフィンをくれた。遠ざかるBahia de Todos os Santosにちょっとしんみり。
さて島に到着するも、ルーアハスタはどこにいるのか?祭りはいつはじまるのか?全くわかりません。こぢんまりとした島の町並みはのどかな田舎町、といった風情で、バーで地元民がたむろしたり、子どもと犬が(なぜか子どもと犬はいつもセット)ぶらついたりしている。暗くなってきて、祭りの衣装らしきものを着た人々が通り過ぎるも「いつ始まるのか?」という質問に「さぁ~もうすぐだよ」とテキトーな返事が返ってくるばかり。またか、あと少し待って始まらなかったら帰ろう、と決めたしばらく後、それは起こった。
牛車に乗り、たいまつとほら貝を手に、爆走するルーアハスタ号。それに続き、気勢を上げて駆け上がる人々の群れ。
日常を凌駕した光景がそこにあった。そしてとりあえず非難する我々。逃げながら、群れに押されて眼鏡を紛失する久保原さん。揺れるたいまつがそこここを照らし、劇らしいものが始まり、踊りが始まり、祈りが始まり、去っていった・・・
そして全てが終わったとき、Havaianasのサンダルを履いた私の足の上を、野良ゴ○ブリが駆けて行った・・・
帰りの船から眺めた夜景がとてもきれいでした。
ブラジル時間今日はアンゴラ要塞でイベントがあるらしいので、四人そろってペロウリーニョを出発する。絵葉書にもなっている坂道を下り、でこぼこ道を歩く。観光地から外れているので、家でTVを見てくつろぐおじさんや、路上で遊ぶ子どもたちの姿が垣間見れて面白い。日本人がよく泊まる直哉堂や青い家もこの辺りらしい。さらに上っていくとビデオで見た古い教会(この前でホーダをしていた)や、なぜか高級そうなホテル?もあったりして、久保原さんはところどころ立ち止まっては写真を撮っていた。アンゴラ城への道のりはちょっとした遠足みたいで、いつも面白かった。
しかし案の定というか、イベントは始まっていなかった。でもチラシは貼ってあるので、まあいつか始まるだろう、最後のホーダに間に合えばいいということで、悪態をつきつつも戻る。用事がある久保原さん以外の三人は、ABCAで練習をすることにする。メストリ・ネコは一階の受付でいつもくつろいでいて、始めは受付のおじさんかと思っていた。実際に教えてくれたのは若くてハンサムなアレシャンドラだ。動きがとても柔らかい。セクエンシアをやった。
アンゴラ城で日本人カポエイリスタのミィ(次に出てくるあずさちゃんと同名でややこしいので勝手に命名)と、ABCA前でメストリと話していたあずさちゃんと立て続けに日本人と会ってしかも女の子だったのでとても新鮮だった。
結局夕方再びアンゴラ城を訪ねたら、ホーダは終わっていた、というか、始まってもいなかった。これがブラジル時間か・・・。
Viagra 11月26日 朝5時起床。ブラジル最後の日は快晴だった。Garcaoが寝ている間にシティバンクへ散歩する。1万円分の金をおろし、盗まれないよう走って戻る。さすがに暑くて、ジョギングしながら戻ったら汗まみれだった。
朝食は何時もの通りバイキング。コーヒーが甘くないから嬉しいけれど、サンパウロでの朝食もよかったなぁ。久と打ち合わせを行い、午後3時にラランジェイラスからタクシーで空港へ向かうこととなる。それまでにビリーバを受け取り、運ぶ準備もしなければならない。結構慌ただしいなあ。
朝食後、Garcaoにお金を渡し、ついでにシャツ(メストリ・ヘネの道場への寄付)とガムだのを託しておく。「分かった!」と力強く請け負ってくれるGarcao。ちゃんと渡してくれることを信じる。Morangoにはi-podの充電器と変圧器を渡しておく。多分返ってくることはないだろうと予想しつつも、有効利用してくれることを切に願う。
前回と同じく、タクシーを拾うのにかなり手間取り、久が再びメストリのトラックを動員。交渉力のある人がいると本当に頼りになる。荷物が一番多いのも久なんだけれど…。
ラランジェイラスに着き、久とMorangoはチェックイン。3日前にサヨナラの挨拶をした人と次々に対面。何か空しい。Garacaoは「直哉堂へ泊まる」と言い出した。お金がないかららしいけど、大丈夫だろうか?12時ごろアレシャンドレの道場で待ち合わせすることにして、Garcaoは去っていった。久も仕事をこなすというので、僕とMorangoはメルカード・モデロへいくことにする。エレベータ近くの店で念願のコッシーニャを発見。早速購入。肉が入っていたため少し苦手だったが、コロッケよりもモチモチしていておいしかった。ケチャップと良く合う味だ。
ここで、何故か直哉堂へ向かったはずのGarcaoと遭遇。直哉堂はアンゴラ要塞方面にあるはずなのに、何故か真逆の方へ歩いてしまったみたい。「俺、方向音痴なんだよ」とは良く言っていたが、ここまで酷いとは・・・最終日に不安がでる。疲れた顔を見せながらも元気に去っていくGarcaoを見送り、モデロでしばらく買い物。昼ごろまでにパウロの店などを回り、最後の挨拶を交わしておく。バイーアでもサンパウロでも、日常でいろいろな人と出会えて、「友達!」と声をかけてくれるようになった。お別れは寂しいけれど、「Boa viagem!」を励みに頑張っていこう。
アレシャンドレの道場で最後のカポ練習を行い、昼過ぎにラランジェイラスに戻る。久とMorango、Garcaoも集まってきたため、いつものように昼食。「最後だ!好きなもの食べろ!と言いながらも、相変わらず僕の分のカイピリーニャを巡って醜い争いは繰り広げられた。この心温まる風景も見納めかと思うと悲しくなった。1ヶ月、このメンバーにはお世話になったなあ。我侭な僕に付き合ってくれてどうもありがとう。このメンバーでブラジルを旅できたことは、本当に掛け替えのない良い思い出になった。ブラジルの青い空の下、ほとんど毎日共に過ごし、笑ったり喧嘩をしたりしながらやってきたことは忘れられないだろう。
メストリ・ルーア・ハスタの道場へ行き、難題だった「メストリのCDを運ぶ役」を請け負うことに。荷物を削り、なんとかバッグに詰め込む。「Viagra、お前はいいやつだな」とありがたいお言葉をメストリからもらう。ついでにサインも貰えた。ビリーバも到着し、タクシーで出発することに。メンバーと挨拶を交わし(久には本当に世話になりました。心からお礼を言いたかったけれどフライトの都合上あまり言えず)、ダライに続いて日本へ出発!
一人で立つ空港は不安ではなかったけれど、何か違和感があった。一人で行動したことも多かったけれど、僕は基本的にメンバーと一緒だったんだなあと感じる。バイーアに残った3人の無事を祈りながら、空港で僕は飛行機を待ち続けた。日付が変わっても空港で待ち続けた。時間通りに飛べよ、飛行機。ここまでブラジル時間っていうのもどうかと思う。
写真:見送ってくれた2人。手にはしかと酒が握られている。左は2杯目、右は3杯目。

彼女は食べている姿しか思い出せません
Viagra 11月26日(後半) 夕方過ぎになってビリーバ狩りでお世話になった人たちの家を辞する。バスがこなかったため、ここでかなり時間をとられた。この時点でメストリ・ヘネの練習には間に合わないことが確定。これだけが凄く残念だった。もう一度教えを受けたかったなぁ。
日が落ちたころにバスに乗り、夜8時になってようやくフェリーに乗り込む。夜景がとてもきれいだった。とはいえ、暗くなってしまったら街灯りなんてどこでも同じ感じがする。一人船に揺られながら星を見上げ、明日はもう見られなくなるのだとしみじみ思った。
その時、
僕はまだブラジルでコッシーニャを一度も食べていなかったことに気付く。振り返ればサンパウロではレタスとフルーツ、バターが塗られただけのパンが主食だった。バイーアではムケッカが中心になったけれど、周りの食欲に押され続けていた。せめてコッシーニャだけは食べなければ後悔する!急に焦りだしたものの、食欲がないため今日は却下。明日、どこかで巡り会えたら食べることにする。
イタパリカ島から港について、1日付き合ってくれたメストリにお礼を言う。久は彼にも案内料を払おうとしたけれど、彼は断ったらしい。無償で案内してくれたこと、感謝してもしきれない。本当にありがとうと言いたかったけれど、語彙がないので「Obrigado、Chao」の2単語でまとめておく。そのままタクシーを拾い、メストリ・ヘネの道場へ直行した。雨が降り出しており、僕のバイーア最後の夜を不吉な色に染めていてくれた。
道場に着くが、いやな予感が的中してメストリ・ヘネは不在だった。謝りたくても謝れない。クリスが残っていてくれたため、久が事情を説明し理解してもらう。どうやらメストリ・ヘネはヨーロッパでの講習会が予定に入ったらしく、打ち合わせにいっているらしい。少しクリスと雑談。僕も少しポルトガル語で話したけれど、クリスから
「Voce e timido」との衝撃の一言をもらう。チミド=ヴィアグラは勘弁してください!
その後、雨の中メストリ・ルーア・ハスタの路上ホーダ見学に行く。道に迷って久に助けられながらも、何とかホーダを見物。多分、僕にとってのメインはこのホーダにあったため、この時点で基本的に思い残すことは何もなくなった。雨が気にならない位、気分のよい夜になった。
久たちが最後の晩餐を開いてくれるというので(本当はメストリ・ルーア・ハスタのアトリエに行きたかったのだけど)、バーハに戻り深夜のピザで乾杯をする。MorangoやGarcaoから「好きなもの頼んでいいよ」と言われるが、そんなものは端からないため好き勝手にやらせておく。振り返ると、この1月僕も滅茶苦茶やったけれど毎日が楽しかった。メンバーにも感謝の念が湧いてくる。この日のビールは妙に甘く苦かった。
宿に戻り、帰国の準備を始める。Garcaoが神妙な顔で近寄ってきた。彼にもお礼を言っておこうと思い振り返ったら、「
1万円分のレアル、貸してくれない?日本で返すから」と言われる。僕のバイーア最後の夜更けに、借金の申し込みが響いていった。
写真:ハンモックでお休み…
Viagra 11月25日(中編) ボートでしばらく川上へ移動すると、不思議な木や鳥を見ることができた。さすが南国だなあ、と思うがたまに魚の死体も流れている。リアルで非常に怖い。ボートは狭いので揺れて落ちたりしないか心配になる。溺れ死んだりはしないけれど感染症が気になってしまう川の汚さ。なぜこの大自然が汚れてるんだろう・・・
ボートを降りるとそこは森の中。雨もいい具合に上がり、そこからは軽いハイキングとなった。ナタを持った人が4人とビデオカメラを手にした久、写真を撮ろうとしているMorangoとGarcaoという異色の組み合わせ。すでに道はできているため、歩くのには苦労しない。時折脇に逸れて、職人の皆さんがビリーバを切って見せてくれた。ビリーバ狩には時期を見極めることが必要らしい。月の満ち欠けと関係していて、良いビリーバを採るためにはそれを把握することが大切なんだと教えてくれた。採れたばかりのビリーバを見るのはもちろん初めて。だけどそのこと以上に、職人のナタを振るう様子がダイナミックで気をとられてしまった。
写真:ボートから 川は意外に汚いです

ふもとから2時間ほどで頂上に到着。山小屋があり、そこが狩の拠点らしい。犬や鶏までいて、雰囲気は牧歌的。ぐるりと山々を見渡せるすばらしい景色もあるけれど、僕にはとてもじゃないけれど住めないだろうな。頂上までの道は、職人たちが少しずつ切り開いてきたものだという。その根性には頭が下がる。自転車が通っていたけれど、山の中を自転車で走るのもかなり辛いだろうな。ビバ自然。ブラジルの森だとアマゾンを想像してしまっていたけれど、森の中は虫もいないし比較的普通の木が多い。ハイキング気分で楽しめた。久はビリーバの取れる様子にかなり感心した様子で、画像や映像に納めていた。カポエイラの練習だけではさすがにここまで知ることができない。ナタでビリーバを切り、それをボートで運ぶ。結構な重労働だ。こういった作業を見ると、当たり前のように使っていたビリンバウの価値がまた別のものとなる。ビリンバウを製作している久にも思うところがあるんだろう。
帰りに職人が木に登ってココを採ってきてくれた。豪快にナタで割り、即席のagua de cocoが完成。自然の味を味わえた。ボートが引き潮になって進めなくなり、途中から川の中を歩くなどハプニングもあったけれど無事戻ってこられた。実際川を歩いてみるとほんとに汚かった。夕食まで用意されており、いたれりつくせりのビリーバ狩りツアー。職人の人たちも今回は僕たちに配慮して、あまりビリーバを切らなかったみたい。たくさん刈って運んだ効率は良いのだろうに。ビリンバウの製作過程だけでなくて、ブラジル人の温かさに触れられた島でのハイキングだった。
写真:帰る時 川から
viagra 11月25日 今日はイタパリカ島へビリーバの木狩りの見学をさせてもらうことになっていた。あいにくの雨でスケジュール的にもきつかったけれど、メルカードモデロから船に乗って出発した。メルカードモデロでビリンバウを作っているメストリが案内してくれる。メストリ・ルーア・ハスタの自宅へ行ったときにも訪れたけれど、イタパリカは日本から見るとジャングルの入り口みたいなところだ。タクシーとバスを乗り次ぎ、僕たちはそのさらに奥へ入っていく。イタパリカ島の入り口から2時間、案内してくれる人の家に到着した。入り口のはしごにビリーバが使われており、楽器だけでないビリンバウの多様な使い道が証明されていた。
写真:イタパリカ島バスの中から こんなところです

子供たちがたくさんいたため、久とMorangoが飴を配っていた。久にとってもビリーバ狩りは初めての体験らしく、興味深そうにしている。とりあえず昼食をとってから出かけることになり、家の人がご飯を作ってくれた。お米やパスタなど、手料理はとても美味しかった。ただ、
肉料理にはまったく僕は手をつけられないため相変わらずレタス中心だったこと、
久の煽てに乗ってトウガラシの実を食べ(メストリは止めてくれたけれど)再び涙を流したことは僕の不覚だった。面白がってお土産にトウガラシをくれたけれど、おやつとしてはかなり厳しい。現地の人が食べるにはかなり高級な料理なんだろうけれど、心温まる(口の中も温まる)昼食だった。
その後、
ボートに乗って1時間ほど川を上る。ビリーバはさらに奥地に生えているようだ。案内の人は、「ここから山を登って頂上の先が目指すポイントだ」と言っていた。ここから先、ナタで時折ビリーバを狩りながら秘境の山を登ることになった。(後半へ)
写真:ビリーバ狩りの家の前 久とGarcaoは子供に飴を配っていました
11月18日Morango
突撃となりのビリンバウ弾き今日はビリンバウでオーケストラをやっているという、ハミロ・ムゾットさんを訪ねて三千里。海岸近くのマンションに住んでいるらしい。道中、日差しがこれでもかと照りつけるなか、坂を上ったり下ったり上ったり下ったり。。。あれあれ?ひょっとしてまた迷子?久保原さんが電話で行き方を確認し、どうにかハミロの自宅に到着する。
ハミロ宅には大小さまざまのビリンバウやカバッサがごろごろしていた。フランスツアーのポスターも飾られている。ハミロは丁寧に自作のビリンバウや楽譜を見せて、説明してくれた。どうやらハンドベルの要領でいくつものビリンバウを使って合奏していくらしい。ビリンバウも大きいものは天井につきそうなものもあり、小さいのはほんの1メートルくらいで軽い。試しにと、ガルソン、ヴィアグラ、私、久保原さん、ハミロで合奏してみる。久保原さんがリズムを取り、私たちは楽譜通りにそれに合わせていく。弾いているうちに音が複雑に絡み合い、不思議な一体感が生まれる。初めての演奏法にもかかわらず、きれいにまとまった。ハミロはビリンバウ同士の音をちゃんとチューニングしていて、だからそれぞれの音がぴったり合うのだという。それにしても自分が作り上げたノウハウを見ず知らずの外国人に教えてくれて、本当にいい人だ。久保原さんは日本でもこのオケをやりたいらしい。ハミロにマテ茶をごちそうしてもらい、また訪れる約束をして別れた。
ハミロ宅は高台にあるので、のんびり坂を下ってプライアへ。サルヴァドールに来て初めて見る海。空がどこまでも抜けるように青い。青い空に海といったらやはり酒盛りしかない。焼いた海老やチーズをつまみに海を眺めながら飲むセルヴェージャは格別!

ビリンバウ形の公衆電話 ヴィアグラは腐った?アカラジェを買って失敗。
夜はペロウリーニョ広場でメストリ・ルーア・ハスタのホーダがあった。夜ということもあり、独特の雰囲気に飲まれた。私は日本でも他団体のホーダに行ったことがなかったので、スタイルの多様さや技術の高さなどに驚くばかりだった。ついでに昼間の海で軽い日射病になったらしく、珍しく気分が悪い。しょうがないので久保原さんのジョーゴを見物した後、ホテルに戻ることにした。一枚だけ写真を撮ってもいいと言われたので撮ったけど、やっぱりぶれてしまった。連写にしとけばよかった。ホテルに戻って一人大人しく寝た。
Viagra 11月24 久しぶりに朝の散歩を再開。プライアを走るのはセントロと違って心地良かった。周りには僕と同じように散歩を楽しむ人がちらほら。日本人は僕だけだけれど、安心できた。今日は久が1日中仕事らしく、3人だけで行動することになる。朝食を食べ、久はそそくさと出て行ってしまった。Garcaoは寝坊。今日は近くの海で泳ぐことにする。「ブラジルのプライアは最高!」と日本を発つ前に聞いていたけれど、実際近づいて見ると対してきれいではない。岩だらけだし、海の色も砂っぽい。浜辺到着早々、飽きる。変なおじさんに「いすとパラソル借りろ」と言われ、交渉。5レアルで手をうったはずなのに、実際払う段階になって15レアルに値上げされた。かなりむかついた。
ちゃんと水着を着て泳ぐのはは久々だったけれど、それなりに楽しめた。でも海水と砂があまり好きでないので早々にあがる。気温があまり高くないのと天気が悪いため、少し寒い。灯台近くでストリートホーダをやっていたため、僕はむしろそちらに気をとられていた。いつの間にかMorangoとGarcaoは酒と肴を購入していた。この2人は朝から何をやっているのだろう。
お昼ごろ海を脱出、ABCAへ向かう。何故かミイが練習に参加していた。日本人5人がABCAでカポエイラの練習。ここはブラジルだというのに、この日本人率は何なんだ。ミイとjogoをしたが、意外に上手。バイーアで習うと上達が早いのかな?この日、ラダイーニャを習う。サンパウロでも教えてもらったけれど、メストリの言葉を記憶して覚えていくのはとても難しい。本があるありがたみを実感した。アレシャンドレは何度も教えてくれたけれど、結局僕はちゃんと歌えなかった。でも
、間違えたらビシバシ叩くのはやめて欲しい。しかも僕だけ・・・。叩くなら僕よりもっと間違えている他の人間を叩けよ。 お昼すぎ、会えないと思っていた久と合流、昼食をとる。またムケッカと酒。Morangoが久のカイピリーニャを奪おうとして叱られる光景が当たり前のようになってきた。Garcaoが財布の中身をしきりに気にしだしていた。「お金貸して」と頼まれる。お金ないなら酒のおかわり頼まなきゃいいのに・・・。会話も暴走を始めている。ブラジルだからいいものの、栄のカフェとかでこんな会話してたら危なすぎる。
夕方、アレシャンドレが学校でカポエイラの練習をしてくれるというのでついていく。バスに乗っていったんアレシャンドレの家にいく。家族を紹介してくれた。アレシャンドレ、何度か結婚しているし子供も5人いるらしい。実は恋人もいるという。彼は25歳。たしかに美形だけれど、コントラメストリももてるんだな。学校で練習始まるのを待っている内に、何故か僕がアレシャンドレのおもちゃにされ始めた。蹴られたし、回転もさせられた。練習自体は普通でマジメだったから、その分他人をからかっているときのアレシャンドレの嬉しそうな顔が際立ってみえた。あの男、確実にSだ。
帰り道、ふと立ち寄った店でようやくまともなバイアーナファッションにめぐり合う。少し高かったけれど迷わず購入。苦節3週間、これでようやく安心して日本に帰れるみたいだ。
写真:ABCAにて、大半が日本人。確かにかっこいいアレシャンドレ。がルソンがいない?
Viagra 11月23日 朝食を食べ、荷造りを行う。今日からバーハへ宿を移すのだ。だが宿のスタッフや他の宿泊客に挨拶したにも関わらず、
移動するためのタクシーが全く捕まらないため1時間以上ラランジェイラスで足止めをくらった。理由は
車の積載量不足。どのタクシーもトランクにガスボンベを載せているらしく、僕たちの荷物(特にビリンバウとか)を運ぶ余裕がないのだ。結局、久のコネでメストリに車を出してもらい、運んでもらった。広場で交渉したり電話をかけたりと、朝から久は自分以外のことで四苦八苦していた。お疲れ様です。
ペウロリーニョ広場から20分、海岸沿いのホテルが新しい宿となった。バッハツーリストホテル。三ツ星のホテルらしい。人があまり多くなくて静かだけれど、それが何か少し寂しい気がした。値段は一人一泊60レアル。ラランジェイラスの倍だ。その割りにはたいしたホテルじゃなかった。シャワールームにはヒビが入っていたし、部屋も暗い。さらに僕に割り当てられた部屋は建物に囲まれていて外が見えない(これは僕の部屋だけだった。Morangoはバルコニーから海が見えたらしい。僕は部屋にまでツキがないようだ)。エアコンがついていることがせめてもの慰みか。使いまくってやろう。何故かベッドは2つ。贅沢なので、次の日からはGarcaoとの相部屋にすることになった。
荷物をまとめ、僕一人citi bankで金をおろしておいた。銀行から近い、という点は便利だ。11時ごろ、ようやく出発!「夜はメストリ・ヘネの道場へ行こう」と久は言うが、予定通りいくのだろうか・・・。
メストリ・ルーア・ジ・ボボはサンパウロで会った(ピザを奢ってくれた)Tocaの先生だ。久曰く、「紳士的なjogoをする人」らしい。白い帽子とジャケット、パンツでとてもエレガントに動くのだという。僕たちの先生、メストリ・ブラジリアのカポエイラスタイルにも似ていると久は言っていた。「決して荒々しい動きはしないけれど、確実に相手を追い詰めていくタイプの人だ。一つ一つの動きはとても綺麗だ。体を崩す前のメストリ・ブラジリアも、相手を見事に追い詰めるカポエイリスタだった。俺はまったくかなわなかったね」と、珍しくカポエイリスタについて長く語った久。これから会うメストリはどんな人なのか、会うのが楽しみだ。
サルバドール付近に住んでいると思いきや、バスに乗って2時間半という結構な時間を費やして目的の町についた。辺境だなあ、ブラジルっぽい風景だなあと思う場所も何箇所かあった。これまた海辺の町で、しかし規模はサルバドール市街とは段違いだ。のんびりとした、犯罪どころか人の数も少なそうだ。海はきれいだけれど、こんなところで道場を開いて生計は成り立つのだろうか。
久もここに来たのは初めてらしく、道場の場所を探してしばらく放浪。道を尋ねたりして、何とか道場にたどり着く。メストリはとても優しそうな人で、奥さんと息子さんも紹介してくれた。道場は小さかったけれど、シンボルマークや家のつくりがとても可愛らしくてセンスがよかった(家はメストリの手作りらしい。すごいものだ)。
浜辺のレストランで昼食をとり、ムケッカとセルベージャを胃に入れて久はメストリとの対談に入っていった。ちなみに僕は「この唐辛子はおいしい」と言われ、ためしに食べて地獄を見た。食べ物で涙を流したのは10年ぶりくらいだった気がする・・・。
道場でレッスンさせてくれるかと思ったが、結局僕たちは3時間ほど道場の前で待つだけになった。メストリの息子さんが時折会話してくれたけど、ポルトガル語だけではかなり無理がある。結局7時までのんびりくつろいだだけで、僕たちはメストリ・ルーア・ジ・ボボの道場を去ることになった。せめてTシャツくらい欲しかったけれど、もう今は在庫がないらしい。本当に残念。息子さんは一緒にサルバドール付近へ帰るらしく、ついてきてくれた。
写真:メストリ・ルーア・ジ・ボボの住む町 結構綺麗です。

ここで問題が発生する。
最終バスがなくなってしまっていたのだ。午後7時半の時点で帰るバスなし。日本では考えられない事態だ。というか、なんで息子さんは知らないんだろう?大通りまで他の路線バスの運転手が乗せていってくれたけれど、そこからは本当にどうしたらいいか分からない状態。
「今夜は野宿かな?」と笑う久。野宿は構わないけれど、60レアルが無駄になるのはかなり不愉快だ。何とか帰りたいものだ。大通りなのに車が通ることすら稀で、見上げると満天の星が美しかった。Morangoはかなり不機嫌になっていた。結局久が警察のところで電話boxを借り、タクシーを呼び出してサルバドールまで帰ることになった。いつの間にかもう一人最終バスに乗り遅れた人が参加していて、6人でタクシーの乗り合いとなった。誰が悪いというものでもないけれど、こんなこともあるのだなあと実感する日だった。
何だかんだ言って、久の行動力がものを言った一日だった。メストリのrodaが見られなかったことだけは残念だなあ。
帰り、ビールを飲んで海岸を歩いていたら、ネックレスを奪われかけた。近くにいたのにGarcaoは助けてくれなかった。まあ何ともなかったのだけれど、深夜の徘徊はやっぱり危ない。
写真:メストリルーア・ジ・ボボの道場で。ハンモックでくつろぐMorango